斎藤輝子
さいとうてるこ
歌人・斎藤茂吉の妻。青山脳病院院長・斎藤紀一の娘として東京・浅草に生まれ、9歳で茂吉と婚約、女子学習院を出て18歳で結婚した。関東大震災では茂吉の留学中に27歳で病院を守り、翌年には単身ヨーロッパへ渡ってパリで茂吉と合流した。1933年のダンスホール事件で新聞に名前が出て、茂吉と約12年間別居。茂吉の死後は世界108か国を旅し、79歳で南極、80歳でエベレスト(標高4300m付近)を訪れ、「猛女」「快妻オバサマ」と呼ばれた。子供に精神科医・随筆家の斎藤茂太、芥川賞作家の北杜夫。2028年度前期放送のNHK連続テレビ小説「ほんのモキチ」(主演:河合優実、脚本:宮藤官九郎)で、主人公のモデルとなる。
年表、功績
活躍の軌跡。『人生の残り時間』にも注目してください。意外な発見があります。
| 年月日 | 年齢(人生の残り時間) | 内容 |
|---|---|---|
| 1895年12月11日 | 0歳(あと89年) | 斎藤輝子、生まれる |
| 1905年07月01日 | 9歳(あと79年) | 斎藤茂吉が斎藤家に婿養子として入籍し、9歳の輝子と婚約 |
| 1913年 | 17歳(あと71年) | 女子学習院を卒業 |
| 1914年04月 | 18歳(あと70年) | 斎藤茂吉と結婚 |
| 1916年03月21日 | 20歳(あと68年) | 斎藤輝子、長男・斎藤茂太を出産 |
| 1921年 | 25歳(あと63年) | 東京音楽学校でピアノを学ぶ |
| 1923年09月01日 | 27歳(あと61年) | 関東大震災、27歳の斎藤輝子が青山脳病院を守る |
| 1924年07月23日 | 28歳(あと60年) | 斎藤輝子、単身ヨーロッパに渡りパリで茂吉と合流 |
| 1927年05月01日 | 31歳(あと57年) | 斎藤輝子、次男・宗吉(北杜夫)を出産 |
| 1933年11月08日 | 37歳(あと51年) | ダンスホール事件で斎藤輝子の名が新聞に載り、茂吉と別居 |
| 1945年03月29日 | 49歳(あと39年) | 斎藤輝子、茂吉のもとに戻り12年の別居が終わる |
| 1953年02月25日 | 57歳(あと31年) | 斎藤輝子の夫・斎藤茂吉が死去 |
| 1960年 | 64歳(あと24年) | 中近東・ヨーロッパを旅行 |
| 1975年 | 79歳(あと9年) | 79歳で南極旅行 |
| 1976年 | 80歳(あと8年) | エベレストの標高4300m付近まで登る |
| 1984年12月16日 | 89歳 | 斎藤輝子、胆のうがんにより死去 |
名作
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エピソード・逸話
知られざる興味深いエピソードの数々。
- 関東大震災のさなか、焼け残ったピアノを弾き続けた
- 1923年の関東大震災のとき、茂吉は留学中で、青山脳病院の留守を預かったのは27歳の輝子だった。塀が道路に倒れ屋根瓦がすべて落ちる中、暗い病院を一人で見回った。焼けずに残ったピアノを弾いているのを自警団にとがめられても、落ち着いて言い返し、そのまま弾き続けたという。
- 79歳で南極、80歳でエベレストへ。108か国を旅した「猛女」
- 茂吉の死後、輝子は世界を旅して回った。1975年に79歳で南極を訪れて当時の最年長記録に並び、翌年にはエベレストの標高4300m付近まで登った。85歳でジンバブエも訪れ、旅した国は108か国。豪快な生き方から「猛女」「快妻オバサマ」と呼ばれ、『徹子の部屋』にも3回出演した。孫の斎藤由香はのちに『猛女とよばれた淑女』を書いている。
- 茂吉が9歳の輝子を詠んだ「をさな妻」
- 輝子が9歳のとき、13歳年上の茂吉が斎藤家の婿養子となり、二人は婚約した。茂吉は1910年、輝子を題材にした「をさな妻」11首を詠み、歌集『赤光』に収めている。
- 大病院のお嬢様と、ふんどし姿の茂吉
- 乳母や女中のいる家で育った輝子は、あやとりやお手玉より乗馬やかけっこ、水泳を好む快活な少女だった。長崎時代、丈の短い袴で街を歩く茂吉に対し、輝子は長振袖に厚いフェルト草履で、町の人の目には驚くほど華やかに映ったという。演劇や音楽会、映画に出かけて夜遅く帰る輝子と、短歌と医業に打ち込む茂吉は衝突が絶えなかった。
名言・最後の言葉
斎藤輝子が語ったといわれる言葉。人柄や当時の心情が見えてきます。
- 「お父様が良いということに逆らうことはできませんでしたよ、昔でしたから」
- 9歳で茂吉と婚約したことを、晩年に振り返って。
- 「茂太はピーピー泣いてばかりいたんですよ。弱いったらありゃしない」
- 晩年、長男・茂太とテレビに出演し、関東大震災のころを話して。
子孫・子ども
偉人の血を受け継いだ方々を紹介します
- 斎藤茂太(さいとうしげた)
- 長男。精神科医・随筆家。1916年生まれ、2006年没。父・茂吉の後を継いで斎藤病院の院長を務め、「モタさん」の愛称で親しまれた。母・輝子を描いた『快妻物語』『ママさまは不思議の人』がある。
- 北杜夫(きたもりお)
- 次男。本名は斎藤宗吉。1927年生まれ、2011年没。精神科医で、1960年に『夜と霧の隅で』で芥川賞を受賞。『どくとるマンボウ航海記』で知られる。母・輝子と共著『快妻オバサマVS躁児マンボウ』『この母にして』を出し、『母の影』も書いた。
- 斎藤由香(さいとうゆか)
- 孫(北杜夫の娘)。エッセイスト。祖母・輝子の生き方を描いた『猛女とよばれた淑女―祖母・齋藤輝子の生き方―』(2008年)を書いた。






















































