斎藤輝子

斎藤輝子

さいとうてるこ

ジャンル
その他
出身
東京都
生年月日
1895年12月11日
没年月日
1984年12月16日
年齢
満89歳没

歌人・斎藤茂吉の妻。青山脳病院院長・斎藤紀一の娘として東京・浅草に生まれ、9歳で茂吉と婚約、女子学習院を出て18歳で結婚した。関東大震災では茂吉の留学中に27歳で病院を守り、翌年には単身ヨーロッパへ渡ってパリで茂吉と合流した。1933年のダンスホール事件で新聞に名前が出て、茂吉と約12年間別居。茂吉の死後は世界108か国を旅し、79歳で南極、80歳でエベレスト(標高4300m付近)を訪れ、「猛女」「快妻オバサマ」と呼ばれた。子供に精神科医・随筆家の斎藤茂太、芥川賞作家の北杜夫。2028年度前期放送のNHK連続テレビ小説「ほんのモキチ」(主演:河合優実、脚本:宮藤官九郎)で、主人公のモデルとなる。


年表、功績

活躍の軌跡。『人生の残り時間』にも注目してください。意外な発見があります。

年月日 年齢(人生の残り時間) 内容
1895年12月11日 0歳(あと89年) 斎藤輝子、生まれる
1905年07月01日 9歳(あと79年) 斎藤茂吉が斎藤家に婿養子として入籍し、9歳の輝子と婚約
1913年 17歳(あと71年) 女子学習院を卒業
1914年04月 18歳(あと70年) 斎藤茂吉と結婚
1916年03月21日 20歳(あと68年) 斎藤輝子、長男・斎藤茂太を出産
1921年 25歳(あと63年) 東京音楽学校でピアノを学ぶ
1923年09月01日 27歳(あと61年) 関東大震災、27歳の斎藤輝子が青山脳病院を守る
1924年07月23日 28歳(あと60年) 斎藤輝子、単身ヨーロッパに渡りパリで茂吉と合流
1927年05月01日 31歳(あと57年) 斎藤輝子、次男・宗吉(北杜夫)を出産
1933年11月08日 37歳(あと51年) ダンスホール事件で斎藤輝子の名が新聞に載り、茂吉と別居
1945年03月29日 49歳(あと39年) 斎藤輝子、茂吉のもとに戻り12年の別居が終わる
1953年02月25日 57歳(あと31年) 斎藤輝子の夫・斎藤茂吉が死去
1960年 64歳(あと24年) 中近東・ヨーロッパを旅行
1975年 79歳(あと9年) 79歳で南極旅行
1976年 80歳(あと8年) エベレストの標高4300m付近まで登る
1984年12月16日 89歳 斎藤輝子、胆のうがんにより死去

名作

斎藤輝子が携わった、大正史に残る名作を紹介します。

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斎藤輝子にとくに関係の深い人物を紹介。家族や恋人、友人など。

  • 斎藤茂吉
    [夫] 斎藤茂吉
    歌人・精神科医。9歳のときに婚約した
    13歳年上
  • 斎藤茂太
    [子] 斎藤茂太
    精神科医の随筆家。長男にあたる
    21歳年下
  • 北杜夫
    [子] 北杜夫
    芥川賞作家。次男にあたる
    32歳年下

朝ドラのモデルになった人物

斎藤輝子はNHK連続テレビ小説『ほんのモキチ』(2028年度前期)の主人公のモデル。ほかの朝ドラのモデルになった人物を紹介します。

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写真

活躍していた当時の写真を紹介しています。

エピソード・逸話

知られざる興味深いエピソードの数々。

関東大震災のさなか、焼け残ったピアノを弾き続けた
1923年の関東大震災のとき、茂吉は留学中で、青山脳病院の留守を預かったのは27歳の輝子だった。塀が道路に倒れ屋根瓦がすべて落ちる中、暗い病院を一人で見回った。焼けずに残ったピアノを弾いているのを自警団にとがめられても、落ち着いて言い返し、そのまま弾き続けたという。
79歳で南極、80歳でエベレストへ。108か国を旅した「猛女」
茂吉の死後、輝子は世界を旅して回った。1975年に79歳で南極を訪れて当時の最年長記録に並び、翌年にはエベレストの標高4300m付近まで登った。85歳でジンバブエも訪れ、旅した国は108か国。豪快な生き方から「猛女」「快妻オバサマ」と呼ばれ、『徹子の部屋』にも3回出演した。孫の斎藤由香はのちに『猛女とよばれた淑女』を書いている。
茂吉が9歳の輝子を詠んだ「をさな妻」
輝子が9歳のとき、13歳年上の茂吉が斎藤家の婿養子となり、二人は婚約した。茂吉は1910年、輝子を題材にした「をさな妻」11首を詠み、歌集『赤光』に収めている。
大病院のお嬢様と、ふんどし姿の茂吉
乳母や女中のいる家で育った輝子は、あやとりやお手玉より乗馬やかけっこ、水泳を好む快活な少女だった。長崎時代、丈の短い袴で街を歩く茂吉に対し、輝子は長振袖に厚いフェルト草履で、町の人の目には驚くほど華やかに映ったという。演劇や音楽会、映画に出かけて夜遅く帰る輝子と、短歌と医業に打ち込む茂吉は衝突が絶えなかった。

名言・最後の言葉

斎藤輝子が語ったといわれる言葉。人柄や当時の心情が見えてきます。

「お父様が良いということに逆らうことはできませんでしたよ、昔でしたから」
9歳で茂吉と婚約したことを、晩年に振り返って。
「茂太はピーピー泣いてばかりいたんですよ。弱いったらありゃしない」
晩年、長男・茂太とテレビに出演し、関東大震災のころを話して。

子孫・子ども

偉人の血を受け継いだ方々を紹介します

斎藤茂太(さいとうしげた)
長男。精神科医・随筆家。1916年生まれ、2006年没。父・茂吉の後を継いで斎藤病院の院長を務め、「モタさん」の愛称で親しまれた。母・輝子を描いた『快妻物語』『ママさまは不思議の人』がある。
北杜夫(きたもりお)
次男。本名は斎藤宗吉。1927年生まれ、2011年没。精神科医で、1960年に『夜と霧の隅で』で芥川賞を受賞。『どくとるマンボウ航海記』で知られる。母・輝子と共著『快妻オバサマVS躁児マンボウ』『この母にして』を出し、『母の影』も書いた。
斎藤由香(さいとうゆか)
孫(北杜夫の娘)。エッセイスト。祖母・輝子の生き方を描いた『猛女とよばれた淑女―祖母・齋藤輝子の生き方―』(2008年)を書いた。

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