松井須磨子
まついすまこ
劇団芸術座の看板女優。芸術座をともに立ち上げた劇作家・演出家の島村抱月との不倫関係で世間から糾弾されたが、松井須磨子は舞台での公演でこれを跳ね除ける。なかでもし、『復活』(原作・トルストイ、訳・島村抱月)のカチューシャ役が当たり役となり、主題歌『カチューシャの唄(復活唱歌)』も大ヒットとなった。(ちなみに松井須磨子が日本ではじめての歌う女優である)。人気絶頂だった1918年、最愛の人である・島村抱月がスペイン風邪により急死。松井須磨子も2ヶ月後に後を追って自殺。彼らが立ち上げた芸術座は解散となった。
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年表、功績
活躍の軌跡。『人生の残り時間』にも注目してください。意外な発見があります。
年月日 | 年齢(人生の残り時間) | 内容 |
---|---|---|
1871年02月28日 | -15歳 (あと47年) | 島村抱月、生まれる |
1886年03月08日 | 0歳 (あと32年) | 松井須磨子、生まれる |
1918年11月05日 | 32歳 (翌年) | 島村抱月、スペイン風邪により死去 |
1919年01月05日 | 32歳 | 松井須磨子、島村抱月の後を追い自殺 |
名作
松井須磨子が携わった、大正史に残る名作を紹介します。
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エピソード・逸話
知られざる興味深いエピソードの数々。
- 大正時代のスター・松井須磨子の自殺詳細
- スペイン風邪で急逝した愛人であり演出家の島村抱月。その月命日を選んで、松井須磨子は自殺した。場所は島村抱月とともに設立した芸術座の道具小屋であり、最愛の人の写真を自らの写真で挟み、最後に花と線香を手向けたという。なお、発見された遺体は大島絣を重ね着し、女優髷と化粧をほどこし、髪の毛一筋も乱れていなかった。松井須磨子は、かつての師匠であった坪内逍遥らに遺書を3通送っていて、そのなかでは島村抱月と同じ墓に入ることをのぞんでいたが、愛人の身であった須磨子の望みが叶うことはなかった。
子孫・子ども
偉人の血を受け継いだ方々を紹介します
松井須磨子の子孫は見つからなかったかも…。情報ある方、お知らせください。